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島津 忠興(しまづ ただおき、文明18年(1486年) - 大永5年10月9日(1525年11月4日)〔「種子島家譜」(『鹿児島県史料』「旧記雑録拾遺家分け3」所収)参照。なお、『鹿児島県史 別巻』(鹿児島県 1943年)では10月5日としている。〕)は、戦国時代の薩摩国の武将。島津氏薩州家第4代当主。島津成久(重久とも)の子。通称は又太郎、三郎太郎、八郎左衛門尉、薩摩守。子は娘(島津勝久室)、島津実久、島津忠辰、島津忠兼、娘(新納忠茂室)。 明応9年(1500年)、薩州島津家に内乱が起き、敵対する島津忠福の拠る加世田城を攻め、忠福に加勢した島津久逸(島津忠良の祖父)を討ち取った。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「島津忠興 (薩州家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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